コラム:マネジメントにおける厳しさ

 
今回は【マネジメントにおける厳しさ】について少々。

管理職を対象とした組織マネジメントや人材育成ノウハウについてセミナー研修で講義をしたり、コンサル指導先で話をしていると、「部下に厳しく接すること」が苦手、難しいという声は、よく出てくる話題です。この「部下に厳しく接すること」というのは具体的にどういうことなのかと考えると「部下に厳しく接すること」が苦手だという人ほど「厳しくする」≒「叱責する」というニュアンスで捉えている人が多いかもしれません。「部下に厳しく接すること」が、「できていないことを叱責する」と同義になる訳です。そう考えると、なかなか叱れない上司が増える昨今の風潮と同じように「部下に厳しく接することができない」という上司が同じく増えているのも合点がいきますね。

今回、この「部下に厳しく接すること」を取り上げた理由は、私の考える「部下に厳しく接すること」は、「部下に厳しく接すること」が苦手だと口にするような管理職の人達と意味合いが少し違うからなのです。

私の考える「厳しい」は「叱責する」ではなく、

【大事な事に対して、妥協なくあるべき状態を求めること】

という定義です。

例えば、ある大事な約束事について期日までにできていなかった人がいます。ここで「部下に厳しく接する」というと短絡的に「できていないことを叱責する」になりがちですが、すべきことができていない理由を叱責することなく聞き入れた上で、それでもやること促がす。そして、極端な話、すべきことが適切に完了するまでは予定があろうが帰らせない。「叱責」はしていませんが、指導される側からすれば十分「厳しい」に該当します。できれば、管理不足であった上司自身も一緒に仕事が完了するまで付き合って残るのが良いですね。上司が待っている間に自分の仕事をしていたとしても、自分のせいで遅くまで上司までも残っている状態というのは、それはそれでまた良いプレッシャーにもなるでしょう。

仮に叱責をしたとしても、その後にしっかりとあるべき状態にすることを求めず、許してしまったり、うやむやにしてしまうようでは意味がありません。中にはそれを逆手にとり、叱責を我慢すればやらずに済むと考える人も存在します。実運営上では、結果的に「厳しくする」為に「叱責する」ことが多いことも事実ですが、皆さんが「部下に厳しく接する」という行為の先に求めるものは何かを考えてみてください。

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それは、結局は「あるべき状態」へ修正してもらうことや、今回は良くない結果や状態だったとしても、それを繰り返さないように、次回は取り組んでもらうことではありませんか?あるべき状態にできていない理由は、ケースバイケースではあるでしょう。しかし、できなかった理由(言い訳)があれば、許してもらえるという風土は、多くの場合、マネジメントをする上であまり良いことはありません。部下の数が多くなってくれば特に顕著となってきますが、関わる人が全員納得できるような「出来ていなくても仕方ない理由」というのは実際には基準付が難しいものです。個別事情が安易に優先されたり、特例が多い組織は、意識統一が図りづらくなり、そういった風土が、強い組織を創り上げるうえでの障害ともなります。

だからこそ【大事な事に対して、妥協なくあるべき状態を求めること】が重要です。

それが達成される為の手段の一つとして「叱責」があるだけで、「腹落ちするまで説明すること」も「膝を付け合せて教え諭す」ことも手段の1つとしては存在します。例えば、何らかの部下の目標設定をする際に、部下が申告してくる目標レベルが本来のあるべき目的と照らし合わせて甘いと感じたら、適切な目標レベルになるまで笑顔で却下することも「部下に厳しく接すること」の1つの形です。

上司があるべき状態を求めることを徹底している組織とそうではない組織では、厳しい局面でのアウトプットにどのような差が生まれてくるか想像することは簡単です。皆さんは改めてご自身を振り返ってみていかがですか?安易に部下に対して「仕方ない」と諦めたりしていませんか?

部下の印象として、
「ほとんど叱ったりしないけれど、あの人はすべき事には厳しい」
と思われているようであれば、強い組織を創れる管理職としては良い傾向だと言えますね。